Column
松戸通信第6号掲載の記事です
1. 花を愛でる
今年の首都圏の桜の季節は3月中にはピークを過ぎてしまいました。
しかも、新型コロナウイルス騒ぎ。 松戸通信第6号では、
葛飾の花見の名所でも特集し ようかな、
と考えていたのですが、
それは叶いません でした。
そこで、今回は花を愛でるということについて
ちょっと調べてみようかと思います。
花見と言えば今では桜のことを指します。
桜は、日本にもともと自生していた樹木であります。
が、そもそも桜が愛でられるようになる以前には、
梅が愛でられていたと聞いたことがあります。
梅は中国から入ってきたものでした。
舶来の花が愛でられたのですね。
中国で、愛されている花というと、
ボタン・梅・ 李・桃・蠟梅だそうです。
この中で桃は、雛祭りの花として日本でも定着して います。
女の子の節句らしい華やかさが桃の花にはあ りますね。
それ以外のボタンや蠟梅と比べると、
日本人の感性 に合いそうなのはやはり梅かなと思われます。
9世紀初頭に編纂された万葉集では桜の歌が45首あるのに対して。
梅の歌が110首だそうです。
圧倒的に梅の花が多く謳われています。
中国の文化が積極的に取り入れられた時代にあって、
技術や産物だけでなく、
好みというか嗜みも中国風を 受け入れたのですね。
遣隋使が始まったのが7世紀の末、
これはある意味外 交の世界の話なので、
それ以前から、
圧倒的に先進的であった中国の文物が、
流入してきたことでしょう。
その結果、
200年後には、
当初は新しいものであった梅が
日本人の感性において、
最も親しく詠まれるよう にまでなっていったのですね。
それが、古今和歌集では、
桜と梅の関係は逆転しています。
つまり桜の方が明らかに多く詠まれるようになっています。
梅の歌22首に、桜の歌75首という具合です。
古今和歌集は10世紀の初頭に編纂されたようなので、
万葉集から100年の変化です。
西暦830年代、和暦で言うと承和年間に、
紫宸殿が焼 失したことがあったそうです。
紫宸殿というのは内裏の生殿、
さまざまな儀式に用いられる重要な場所なので、
すぐに復旧されましたが、
その際に、
それまで梅 が植えられていたのを桜に替えたそうです。
儀式にかかわる場所での変更、
人々の趣味が大きく 変わってきたことを意味すると思われます。
894年に遣唐使が廃止されています。
遣唐使廃止の理由はあまり明確ではないそうですが、
結局のところ、
中国への関心が薄くなっていたことが背景にあること は間違いがないようです。
このように、
人の趣味が大きく変わってきたことは、
単に花だけでなく、
様々な分野に関係していたものと 思われます。
機会があったら調べてみたいものです。
ところで、中国から梅を愛でる習慣が入ってくる前の日本は、
どんな花を愛でていたのでしょうか。
現存する日本最古の書物である古事記が書かれたのが
西暦712年であるとされています。
万葉集に先立つことわずか百年。
文字自体が大陸渡 来のものですから、
中国文化を受け入れるようになってから、
書かれたものではあります。
ただし、日本の ずっと昔のことを書いているので、
当時、つい最近大 陸から入ってきたと考えられていたものは
おそらく書き込まれてはいないのではないかと思います。
そこで古事記にどんな花が出てくるか、という資料 を探してみました。
その結果、
春先に咲くものとしては、やはり桜、
そ れから椿くらいだったようです。
藤や橘もありますが、これは晩春から初夏の花ですね。
といいうことは、
梅の前はやはり桜だったのか。
いやいや案外椿だったかもしれません。
照葉樹であ る椿やお茶は古来重要な植物だったはず。
この線も捨 てがたい気がします。
桜⇒梅⇒桜か、椿⇒梅⇒桜か、皆さまはどちらだと 思われますか。
ところで、
古事記に登場する植物に桃が出てきます。
桃は梅と同じく大陸伝来の植物のはず、
どうしてと調 べてみてわかりました。
梅は、渡来が飛鳥時代で、新しい植物ですが、
桃は 縄文時代に渡来していたのですね。
つまりもはや、土 着の植物という認識だったのでしょう。
ということは、桃⇒梅⇒桜の可能性も否定できないことになります。
決め手はありませんが、
個人的には椿⇒梅⇒桜だっ たら面白いな、
と、感じる次第です。
アイキャッチの写真はヤマザクラ、桜の原種の一つ。
桜の原種は11種 あるそうで、
それらが山に自生していたのですね。
複数の品種の桜は花期が違うので、
今のソメイヨシノ が植えられた桜並木のように、
一斉に満開ということでは、なかったようです。
1. 花を愛でる
今年の首都圏の桜の季節は3月中にはピークを過ぎてしまいました。
しかも、新型コロナウイルス騒ぎ。 松戸通信第6号では、
葛飾の花見の名所でも特集し ようかな、
と考えていたのですが、
それは叶いません でした。
そこで、今回は花を愛でるということについて
ちょっと調べてみようかと思います。
花見と言えば今では桜のことを指します。
桜は、日本にもともと自生していた樹木であります。
が、そもそも桜が愛でられるようになる以前には、
梅が愛でられていたと聞いたことがあります。
梅は中国から入ってきたものでした。
舶来の花が愛でられたのですね。
中国で、愛されている花というと、
ボタン・梅・ 李・桃・蠟梅だそうです。
この中で桃は、雛祭りの花として日本でも定着して います。
女の子の節句らしい華やかさが桃の花にはあ りますね。
それ以外のボタンや蠟梅と比べると、
日本人の感性 に合いそうなのはやはり梅かなと思われます。
9世紀初頭に編纂された万葉集では桜の歌が45首あるのに対して。
梅の歌が110首だそうです。
圧倒的に梅の花が多く謳われています。
中国の文化が積極的に取り入れられた時代にあって、
技術や産物だけでなく、
好みというか嗜みも中国風を 受け入れたのですね。
遣隋使が始まったのが7世紀の末、
これはある意味外 交の世界の話なので、
それ以前から、
圧倒的に先進的であった中国の文物が、
流入してきたことでしょう。
その結果、
200年後には、
当初は新しいものであった梅が
日本人の感性において、
最も親しく詠まれるよう にまでなっていったのですね。
それが、古今和歌集では、
桜と梅の関係は逆転しています。
つまり桜の方が明らかに多く詠まれるようになっています。
梅の歌22首に、桜の歌75首という具合です。
古今和歌集は10世紀の初頭に編纂されたようなので、
万葉集から100年の変化です。
西暦830年代、和暦で言うと承和年間に、
紫宸殿が焼 失したことがあったそうです。
紫宸殿というのは内裏の生殿、
さまざまな儀式に用いられる重要な場所なので、
すぐに復旧されましたが、
その際に、
それまで梅 が植えられていたのを桜に替えたそうです。
儀式にかかわる場所での変更、
人々の趣味が大きく 変わってきたことを意味すると思われます。
894年に遣唐使が廃止されています。
遣唐使廃止の理由はあまり明確ではないそうですが、
結局のところ、
中国への関心が薄くなっていたことが背景にあること は間違いがないようです。
このように、
人の趣味が大きく変わってきたことは、
単に花だけでなく、
様々な分野に関係していたものと 思われます。
機会があったら調べてみたいものです。
ところで、中国から梅を愛でる習慣が入ってくる前の日本は、
どんな花を愛でていたのでしょうか。
現存する日本最古の書物である古事記が書かれたのが
西暦712年であるとされています。
万葉集に先立つことわずか百年。
文字自体が大陸渡 来のものですから、
中国文化を受け入れるようになってから、
書かれたものではあります。
ただし、日本の ずっと昔のことを書いているので、
当時、つい最近大 陸から入ってきたと考えられていたものは
おそらく書き込まれてはいないのではないかと思います。
そこで古事記にどんな花が出てくるか、という資料 を探してみました。
その結果、
春先に咲くものとしては、やはり桜、
そ れから椿くらいだったようです。
藤や橘もありますが、これは晩春から初夏の花ですね。
といいうことは、
梅の前はやはり桜だったのか。
いやいや案外椿だったかもしれません。
照葉樹であ る椿やお茶は古来重要な植物だったはず。
この線も捨 てがたい気がします。
桜⇒梅⇒桜か、椿⇒梅⇒桜か、皆さまはどちらだと 思われますか。
ところで、
古事記に登場する植物に桃が出てきます。
桃は梅と同じく大陸伝来の植物のはず、
どうしてと調 べてみてわかりました。
梅は、渡来が飛鳥時代で、新しい植物ですが、
桃は 縄文時代に渡来していたのですね。
つまりもはや、土 着の植物という認識だったのでしょう。
ということは、桃⇒梅⇒桜の可能性も否定できないことになります。
決め手はありませんが、
個人的には椿⇒梅⇒桜だっ たら面白いな、
と、感じる次第です。
アイキャッチの写真はヤマザクラ、桜の原種の一つ。
桜の原種は11種 あるそうで、
それらが山に自生していたのですね。
複数の品種の桜は花期が違うので、
今のソメイヨシノ が植えられた桜並木のように、
一斉に満開ということでは、なかったようです。