Column
久しぶりに相続関連の話題です。
以前にも書きましたが、相続を円滑に進めるためには普段の家族間のコミュニケーションというか、思いの共有が大切だということです。
相続と争族を掛け合わせたような言い回しを最近よく目にします。
たしかに、この仕事をしていると、相続を機会に相続人である兄弟間の仲が悪くなった、というようなこと目の当たりにすることもあります。
そのようなことを避けるためにどうしらよいのか。
法定相続をベースに遺留分に配慮した、配分とすることが、大切である。とか、協議の進め方にも配慮する必要がある。
というようなことが言われます。
それぞれに言い分があるようなことなので、あまりに偏った内容であるとまとまるものもまとまらないのは、たしかにそのとおりであると思います。
その意味で、民法の考え方を踏まえることはとても大切なことです。
ただ、それ以前に相続人間に隙間風が吹き込むような状況があると、相続のような事象を機会に、ぎくしゃくした状態がいっぺんに表面化してしまう。ということが非常に多いのではないでしょうか。
そのようなことが背景にあると、常識的な配分案であっても納得性が得られにくくなる、ということがよくあります。
小さい頃は仲がよくても、大人になり、それぞれが仕事を持つようになると、それぞれの職業柄からくる、考え方の癖のようなものが出てきます。
配偶者ができて、さらに子供が生まれると、兄弟よりは自分の核家族との絆が優先されるようになります。
もともとの家族の求心力はある意味弱くなっていきます。
そのような状況でも兄弟間の関係をしっかり保つには、親が家族全体の幸せを願い配慮していることがメッセージとして発信されていること、そのことによって一種の安心感が家族に醸成されていることが大切です。
このようなことは、まず親から発信されなければならないものであると考えます。
その上で、そのような配慮に基づくものとしての遺産分割が遺言という形で残されていることが、相続の幸せな形なのではないかと思います。
昨年末、私は自分史活用アドバイザーという資格を取りました。
親が自らのことや家族を思う気持ちを語ることが、円滑な相続に必要であると考え、そのことを自分史という考えを通じて皆様にお伝えしたいと考えたからです。
これを読んでくださる親世代の方の多くは、幸いにしてお元気でいらっしゃるかと思います。したがって、自分の死を想定した話はまだ早い、とお考えになられていると思います。
しかし、自らのことを語り家族のことを思う気持ちを語ることに、早すぎるということはありません。
また、人間は誰しも明日のことはわからい存在である以上、相続のことを考えるのも早すぎるということはありません。
私は、相続について定期的にお話をさせていただいています。
今後は、自分史活用アドバイザーとしての視点も含めて、お話しさせていただきたいと思っています。
機会があればぜひご参加ください。
ちなみに2月15日に千葉県市川市内でお話しする予定です。
今後の予定も逐次ご報告させていただきます。
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