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Column

経営者の想い  小林一三の場合
2020年07月02日 メモランダム  松戸通信  自分史 

2. 経営者の想い

 小林一三という方をご存知でしょうか。

 1873年現在の山梨県韮山市に生まれた方です。

 慶応義塾卒業後、三井物産を経て西下し、箕面有馬電気軌道の専務になったのです。専務と言っても実質的な社長。この線は、国有化された福知山線に沿って宝塚まで計画され、建設が始まったものの、当時の鉄道建設のお定まりで、資金不足に陥っていたのですね。

 これを企画したのは、そもそも福知山線建設に出資した方が中心だったとか。せっかく作ったものを国有化されたら、もう一本作るということに、関西人の反骨精神を感じます。

 運転本数を多くして、利便性を増し、競合する福知山線との競争に打ち勝とうという意気込みでした。

 さて、その鉄道の経営を引き受けた小林は、まず、沿線の土地を買って宅地開発して販売、それも当時としては新しい手法である割賦販売を行い成功しました。

 これが成功を皮切りに、1910年箕面に動物園、翌年は宝塚新温泉、1914年に宝塚歌劇団、1918年に阪神急行電鉄と改称後の1920年に白木屋を大阪に誘致、1029年には阪急百貨店開業、同年六甲山ホテル開業、1936年阪急プレーブスの前身である大阪阪急野球協会を設立。

 これらの全てが小林の発案ではないにしても、大都市の鉄道が大都市と周辺の都市を結ぶだけではなく、都市と都市の間に人を住まわせ、人が集まる施設を作る、というこのパッケージは小林が作ったのですね。

 

さて、その取り組みが効果をあげつつあった1920年に田園都市株式会社より、経営への協力依頼がありました。

 田園都市株式会社は、都内の荏原地域の開発を目的として設立された会社です。

 同社は、洗足地区の用地買収に着手したものの、洗足電気鉄道と競合したことによる地価高騰のため、買収対象を多摩川台地に変更したり、傘下の荏原鉄道の敷設工事も、当初計画を変更して目黒からの工事を優先する等、経営が定まらない状態にありました。

 当時の役員には、発起人の渋沢栄一や、服部時計店の服部金太郎等錚々たるメンバーがいましたが、都市開発や鉄道事業は素人のため、経営が安定しない状況があり、折からの一次大戦後の不況もあって苦境にたたされていました。

 そこで、関西地方で既に実績をあげていた、小林一三に白羽の矢が当たったというわけなのですね。

 小林一三は、固辞したものの断り切れず、話をきくだけなら、という条件で月一回上京し、取締役会に出席することになります。

 小林は、実質的に経営を進め、1922年3月目黒・多摩川間鉄道敷設工事着工、同年6月洗足地区の宅地の予約分譲開始、同年7月田園都市会社から電鉄部門を分離独立しその後の鉄道計画を整備する等の成果を上げます。

 小林は、当時「僕が毎月上京して役員会で方針を定めて行くが、さっぱり実行出来ない。呆れてものも言えぬ。」と嘆いていたそうですが、ちょっと話を聞くだけのつもりで、取締役にもならずに参画したものの、いつのまにか経営全体を背負いこんでいたのでした。後には、実行力のある人物として、五島慶太を見出し鉄道会社の社長に据えています。後継者まで自ら選出。

 1873年生まれの小林は、当時40代後半、人生50年の 

時代とすれば決して若いとは言えない年齢です。調べてみると1921年の東京・神戸間の所要時間が11時間50分とありました。東京・大阪は11時間くらいでしょうか。土曜の夜に大阪を発って、翌朝東京着、日曜一日働いて、また夜行に乗って月曜は朝から阪急の仕事をする、というのは並大抵のことではありません。

 結局、これでは十分な成果は上がらないと考え、後任を氏名までする、という取り組みには、ほとんど社長としての責任感で取り組まれていることが感じられます。。

 しかも、この取り組みについては彼は無給だったのです。

 都市開発や鉄道開発に関する、強い想いが、突き動かしたのでしょうか。

 阪急沿線、阪急鉄道というと、関西の中では特別のイメージはありませんか。あのあずき色の電車のイメージもさることながら、単に人を運ぶだけでなく、都会的なイメージや文化的なイメージは、阪神電鉄や南海電鉄あるいは近鉄とも違う、ちょっとあこがれるようなイメージが私にはあります。

 関東の東急にも京急や京成、東武とはちがった特別のイメージがあるように思います。

 これらの底辺には、小林の想いがあるように私には感じられるのですが、皆さまはどのようにお感じになりますか。

タグ: 小林一三  阪急電鉄  東急  行政書士  行政書士こいでたくや事務所