Column
今回は兄弟関係です。
小さい頃は、どの兄弟も仲良しですね。喧嘩をしてもすぐ仲直りします。
子度の頃の喧嘩は、喧嘩ではないです。
子どもの頃から兄弟の仲が悪いとするとそれはよほどのことですね。
多くの場合、保護者の下、安定した同質性の高い関係が維持されているのですね。
ことろが、成長とともに、「保護者(親)←→子供たち」という安定した関係に別の要素が加わってきます。その結果子どもたちの関係も変わってくるのですね。
こんなこと言われなくてもわかっているよ、という内容かもしれませんが、あえて書きだしてみます。
子どもたちは、幼稚園に入ると「幼稚園の友達関係」という新しい人間関係を経験するようになります。この関係は小学校→中学校と年齢が上がるにつれて強くなっていき、中学校に入ると、ある意味親との関係より、友達関係の方を重視するようになっていきます。
親離れの段階ですね。
因みに、私の子供は4歳ですが、幼稚園の帰り数人の親友と遊びながら帰るのが楽しみで、付き添っている親を顧みず、時には昼過ぎから夜8時近くまで遊びまわっています。
これが大学になると、親元を離れて暮らすケースも出てきて、親子だけでなく兄弟間の交流も以前ほどではなくなっていきます。
価値観も友人とのかかわりの中で決まっていく部分がおおくなっていきます。
社会人になり、独立した所帯を持つようになると、人間関係はむしろ独立した所帯と仕事関係が中心になっていきます。
つまり、親子や兄弟間の関係は薄くなり、職業上の価値観や人間関係、配偶者の価値観等の影響がはるかに強くなっていくのです。
ところが、相手の変化や自分の変化に気づく機会は実はまれなのです。
正月に久しぶりに親元にかえったときのことを思い浮かべてください。
例えば、遠方を旅して久しぶりかえってきたとします。
まずは荷物をおいて、居間でお茶でも飲みながら土産物を渡しながら近況の報告。まぁ深い話はなくて、しばらく見ないうちに大きくなった子ども(親から見たら孫)の話題や、親戚のだれそれに子どもが生まれた等の話題が中心であろうと思います。
夜はひょっとしたらミニ同窓会で外出するかもしれません。
正月は初詣やら親戚間の往来で、時間がとられ、アルコールも入ったりして、それなりに楽しく過ごすものの、たわいもない話題で時間が過ぎていきます。
そして2日には慌しく故郷を離れていくことになります。
何がいいたいのかというと、痩せたとか太ったとか、親の足取りがおぼつかなくなったとか、外形上の変化には気づいても、内面の変化には気づかないのです。
そのようなことで、月日が経過し、あるとき親が亡くなって、相続の話題が降ってわいたように起きてきます。
兄弟間で、きちんとした意見交換をするのは何年ぶりのことでしょうか!!!
その時に相手の考え方が、自分と違ってしまっていることに、初めて気づくのです。
その驚きと狼狽、つい感情的になりがちです。これに利害がからむのですから、結果は明らかですね。