Column
また、3月11日がやってきました。
あの時のことを考えると、未だに考えがまとまらず呆然としてしまうのですが、あえて感じていることを書き記します。
あの日私は当時勤めていた会社に有給休暇を取って彦根に家族で旅行に出かけていました。
ちょうど彦根城の資料館だったか郷土資料館だったかを見ているときに、揺れを感じました。
大きさ自体は大したことはありませんでしたが、波長の長いなんとも気持ちの悪い揺れが長時間続きました。
どこか遠くで極めて大きな地震が起きたのであろうことは想像がつきました。
すぐに、四国にあった会社の事務所に連絡を入れましたが、すでに電話はつながらず、とりあえず安否確認のメールを入れた記憶があります。
そんなこんなで、巨大津波のリアルタイムの映像は見ていません。
ホテルのテレビで港町が燃えているのを呆然と眺めた記憶があります。
たしか7月に被災地に行く機会があり、その時は人間の無力であることをつくづく感じました。
あれから7年が経過しました。
東北地方の復興の遅れにはもどかしさを感じます。
神戸の震災とは比較できない広大な範囲の災害であったことを考慮しても、やはり早いとは言えないように感じます。
話題は変わりますが、引き続いて起こった原子力発電所の事故の対応は未だに電力会社が前面に出て廃炉の検討やら被災者対応などが行われています。
もはや財政基盤を失っていることが明白な会社に公的な資金を投入して復旧にあたらせるという的外れな選択をした国の判断には、国民国家を守るという覚悟が足りなかったのだと思います。
環境や国民生活に重大な影響を与えるかもしれないことを、国民や国家にとって必要であるとの判断から国策として推進する以上は、万一のことがあった場合は国が前面に立ってその後の策を講じていく、という覚悟がなかったのです。
ちょっと前に忖度ということばがはやりました。
官僚は上に立つ政治家の顔色を窺い、政治家はそれを利用するという阿吽の呼吸。
当時だけではなく、現在も、日本という国には、いざという時に対する覚悟はないようです。
次の地震の発生が近いような報道を見るたびに暗澹たる気持ちになってしまいます。
日本という国の経済的な基盤は徐々に脆弱になっています。
このことは残念ながら急には変わらない。
他方、国には国民や国家を守るという覚悟はないのです。
しからば今私は何をすべきなのか。
日々の営みを確実に、誠実に行っていく以外のことが思い及びません。
やはり呆然としてしまうほかはないのです。
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