Column
一枚の写真の自分史の活動を始めてから、高齢の方とお話しする機会が多くなりました。
90歳近い方とお話しをすると、私も十分に年を重ねた者ではあるのですが、その方々から見ると、自分の子ども位の年齢になります。
昔のお話し聞かせて、写真の想いで聞かせて、とお願いすると最初は、「あんたに話してわかるかねえ。」という反応をされる方もいらっしゃいます。
順番に写真を見ながら写真についてのお話しを披露していただくのですが、誰かがお話しをしてくださると、渋っていた方もいろいろと思い出を語ってくださいます。
とのお話しも貴重な人生の一コマです。
この年齢の方ですと、話題が戦中戦後のことに及ぶこともあります。
私は、近代以降の歴史が好きで、戦中戦後のことも知識が多い方だと思っていましたが、やはり書物で読む話と、その時代を実際に生きた方の実話では、存在感が違います。
あらためて勉強しないといけないな、と思っている矢先に、日比谷図書館で、暮らしの手帳の方が、昨年編纂した「戦中・戦後の暮らしの記録」についてお話しされると聞いて早速いってきました。
結果、あまりにいろいろ感ずることが多くて何から書いたらいいのか、ちょっとわからない感じで、何かを書こうにも手がつかない感じなのです。
従って理屈も順番もへったくれもないのですが、今書き留めておきたいことが二点。
その① 終戦から70年以上が経過し、当時のことを覚えていらっしゃる方は、若くても80歳を超えていらっしゃる、その方々が今でも克明に覚えていらっしゃる強烈な記憶を、その人の健康状態によってはまさに力を振り絞ってかかれた記録であるということ。五分間くらいしか体を起こせない方が、その五分間の間で少しずつ書き溜めて文章にされた方のお話しや等を書くと、その想いの強さに感動し、涙が止まらなくなりました。
その想いは自分が生きた証というよりは、不幸にしてこの時代を生き延びることができなかったその方の知人が生きた証を残したい、ということなんだなぁ。と感ずる場面がありました。
その② 第二次世界大戦というと、応召して戦地に赴いた方々の苦労とか、沖縄戦とか原爆とか、あるいは東京大空襲とかが思い起こされ、死と隣り合わせの死に物狂いの経験とかが思い起こされます。しかし、空襲は日本津々浦々の中都市にまで及んだし、空襲とは無縁の田舎であっても、栄養状態や衛生状態の悪化等でやはり死と直面せざるを得ない場面はあったのですね。そうでなくとも、学校では授業はなくて、軍事教練や動員されて働く等、日常ではない日常が展開されていた、ことも改めて印象に残りました。
暮らしの手帳が今回募集した原稿から作られた本が二冊出版され、近々もう一冊、出版されるそうです。
また、1967に出された戦中の記録も未だ現役で出版されています。
順次、読んでいきたいと思います。
ところで、私の一枚の写真の自分史の会でも、例えば、朝学校に行くと、隊列を組んで農家に手伝いに行くことがあって、そういう日は、農家からおやつがいただけるのでうれしかった、というようなお話をいろいろお伺いします。
これもまた、貴重な人生の一コマです。
これらが記録され、そのご家族の記憶となることができるように、引き続き取り組んでまいりたいと思います。